人吉の歴史・文化に触れよう!

小京都と言われる人吉は、700年の時を超えた現在でも、当時の面影が漂う。日本の中で700年もひとつの家で続いてたのは、対馬の宗家、平戸の松浦家、薩摩の島津家、人吉の相良家の4つである。昔懐かしのレトロチックな街並みで、忘れかけてた日本人の生活や文化を感じよう!!

人吉城跡

人吉城(ひとよしじょう)は、約700年に渡って人吉球磨(ひとよしくま)地区を治めた相良(さがら)氏が建てた近代城郭の跡地。鎌倉初期、源頼朝の命を受けた相良長頼が肥後の地頭に着任、地域を横断する球磨川沿いに築城したのが始まりとされる。本格的な城郭(山城)となったのは15世紀頃、現在残る総石垣造りとなったのは秀吉による九州統一後、天正17(1589)年の改修工事以降。城主相良氏は時代に応じて、臣従先を変えながら、見事に鎌倉時代から江戸末期までその領地を守り切った。城の建物は度重なる火事で焼失、最後に再建された幕末の建造物群も明治初期の西南戦争でほぼ焼失してしまう。現在はいくつかの櫓や門・土塀などが再建されている。石垣の一部は上部に石材が突き出る構造になっており、これは武者返しの一種の跳ね出し工法と呼ばれ 西洋式城郭の技術を採用したものである。

相良家家紋

人吉城の情報
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青井阿蘇神社

創建は大同元年(806年)で1200年以上の歴史を持つ歴史的建造物です。
現存する建物は、江戸時代初期に一連で再建されたものです。
中世人吉球磨地方の独自性の強い建築様式の中に、彫刻や彩色などにおいては華麗な桃山期の装飾性を取り入れているのが特徴です。
神社が国宝指定されたのは47年ぶりで青井阿蘇神社(本殿・廊・幣殿・拝殿・楼門)の五棟社殿群が熊本県に現存するものとしては初めて国宝に指定され、茅葺の社寺建築としては全国で初めての国宝となります。国宝には 附(棟札1枚・銘札5枚)も指定されています

※楼門・・・・上層の隅木下には「人吉様式」と呼ばれる神面が取り付けられており、全国的にも類例がありません。また、天井には龍の絵が描かれています。

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永国寺

約600年前の室町時代初期の応永15年(1408)に実底和尚に創立。
ゆうれい寺として知られ、ゆうれいが現れたとされる湧水池が本堂裏にあり、創立者 実底和尚が描かれたと言われる『ゆうれいの掛軸』が館内に残されています。
寺楼門には高さ2mの木彫りの仁王像が左右に配置されています。寺楼門二階部分には、梵鐘(ぼんしょう)が架けられていて、人吉市内に響き渡ります。
また明治 10年の西南戦争の際 西郷隆盛の本陣として滞在。その時に本堂などが焼失したため明治24年に再建されています。

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相良三十三観音巡り

人吉球磨地方の美しい自然に、溶け込むように点在する観音霊場。さまざまな言い伝えの残る観音堂や観音像は人吉球磨の貴重な文化遺産。
鎌倉時代の創建と伝えられるこれらの観音像は、素朴な表情と慈悲の眼差しで人々を引きつけてやまない。
「相良三十三観音めぐり」は、春と秋の彼岸に、全ての観音堂が一斉に開帳される。この日は、九州各地から多くの善男善女が巡礼に訪れる。江戸時代に庶民の間で広まったとされるこの観音めぐり。一番札所から三十三番札所のすべての観音堂をめぐり終えると、人吉盆地をちょうど一周したことになる。地元の方々がお茶やお菓子を振舞うお接待が今なお続いている。心あたたまるふれあいも楽しみの一つです。
春と秋の開帳時期の一日、周りの景色を味わいながら、ゆっくりのんびり観音めぐりへ。

相良三十三観音紹介ページ
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